。郊外に住って居る彼が、時々こうやって下町へ出て来るのも、こんな美しい刺激で心を潤したい為めであった。
 一眼見た。こんな時彼は既《も》う見得も外聞も考えない。貪《むさぼ》る様に覗《のぞ》き込んだ。彼の心は叫びを上げた。「素敵だッ」と。湯の中へ寒暖計を投げ込んだ様に、彼の満足は目盛の最高頂へ飛び上った。何と云う気高い、何と云う無邪気な……彼は持ち合して居る有り丈《た》けの讃辞を投げ出そうと試みた位であった。
 併《しか》し其後では必ず嫉妬心と憎悪とが跟《つ》いて来る。夫《そ》れが他人の夫人であるからだ。彼は平常《いつも》の通り勝手な想像を胸に描いて此心持を消そうとした。
「此女は外に恋して居る男があるんだ」
「否、此女は見掛けによらぬ淫婦なんだ。悪党なんだ」
 こんな風に考えて見ても、此婦人|丈《だ》けには其どれもが当嵌《あてはま》って呉《く》れない様な気がした。
 彼は女を遣《や》り過ごして其後を跟け始めた。女は、彼が仮令《よしんば》もっと露骨にこんな事を遣って見せても、恐らくは少しも気に留めないだろうと思われる程、天使的の自由さと愉快さとで歩みを運んで居る様であった。彼以外の人々は
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