幾月にも斯様《こん》なお手柔《てやわらか》なこきつかわれ方に遭遇《でくわ》さないので、却《かえっ》て拍子抜がして、変てこだが遉《さすが》に嬉しさは顔や科《こなし》に隠されぬ。殊に山田のハシャギ方は随分目につくので、何かなければ良いがと思わせる。
 午前十一時頃、見張の者から巡察官の一行が二里程先の「五本松」の出端に見えたとの報せは、殆んど万歳を喚起《よびおこ》す程の感激を生じた。
「エ、オイ、あと一時間だ。タッタ一時間だ」
 中には髯だらけの顔の中に光ってる双の眼《まなこ》に涙をたたえ、夫れが葉末の露と髯に伝わる、という光景もある。
 緊張の一時間、希望の六十分は直《すぐ》経過して、約四、五十人の出迎人に護衛された、官憲一行の馬車が到着した。
 脚本「検察官」の幕切は、国王の権威を代表した官憲一行の到着を知らせる大礼服の士官が現われる所だったと記憶する。今は二十世紀、茲《ここ》は日本国だけに厳《いか》めしい金ピカで無いから、何れも黒のモーニングに中折帽で、扮装《いでたち》丈では長官も属官も区別はつかぬ。山の主任連はフロックに絹帽子《シルクハット》乃至《ないし》山高で、親方連も着つけない洋服のカラーを苦にし乍ら、堅い帽子を少し阿弥陀《あみだ》に被ってヒョコスカ歩廻っては叱言《こごと》を連発して居る、大分恐入ってる風に見える。
 やがて、彼是《かれこれ》十人|計《ばかり》の一行は主任の先導で、休憩室に宛てられた事務所の二階へ歩を移した、其時に順になったので、役人の親玉と次席と其次位は判別できた。隊長は案外見立のない瘠せ男だが、遉《さすが》に怜悧想《りこうそう》な、底光りのする眼付であった、次席に六尺近い、いい恰幅の、一寸関取と言いたい様な体格の所へ、真黒な頬髯を蓄えてる丈に、実に堂々たる偉丈夫だ、只左の中指に太い印形付きの黄金指環が変に目についた、其次の男は中肉中背の若い男だが、体の科《こなし》から、互の会話振から一人で切廻したがる才子風の所がアリアリと現われて居る。其後からは秩序もなく六、七人が随いてゆく。何れも威張れる所で精々威張り貯めて置こうという、マアマア罪のない連中らしい。
 午餐《ひる》がどんな御馳走だったか判らぬが、何れ小賄賂の意味で、出来る丈の珍味を並べたことだろう。今度は流石に今迄の様に変な女を御給仕に出すことは差控えたらしい。
 午後一時に総員広場に集れの布令《ふれ》が廻って、時は愈《いよいよ》目睫《もくしょう》に迫った。山田は蒼白くなっては度々水で口を濡しながら「サア往こう」と昂然として言う。
 三千人と一ト口に言うが、大したものだ、要所要所に上飯台の連中を配置し、寸分も足掻《あが》きを効かせまいと行届いた手配だ。然し此三千人の口には何様して手を宛てられるかと私は他人事ながら案じられて、背延びをして幹部の方を見たが、謹慎の象徴の様に固くなってるのが見えた丈だ。
 山の主任が立上って、内務省から派遣された大河内《おおこうち》参事官を紹介し、何か不平でも希望でもあらば申立てる様仰せられたから、其旨申伝えると述べて着席する。大河内参事官は、痩ッぽちの体に似合わず、吃驚《びっくり》する程の大声で訓示を始めた。良く透る歯切れのいい弁で、内容を平易《やさし》く要領よく述立てる所は流石にと思わせた。当局に於いては虚心平気で実地の真情を審《つぶ》さに調査報告し、改良すべき点ありと認むれば、飽迄《あくまで》も之が改善を命ずるのである、腹蔵なく述るがよい、世評が嘘伝《うそ》であって欲しいと思うと述べた。
 参事官が椅子につくかつかぬに、私から三人目に居た山田が、何か述立てようとすると、直後《じきうしろ》に見張って居た帝釈天の谷口が、後から肩口を握《つか》んで小突いた、すると壇上の椅子に居た次席の偉丈夫山本さんが突立上って、谷口を睨め底力のある声で叱り付けた。「君は誰か、何故発言を妨げるか、今参事官閣下の言われた事が判らんか止めなさい」
 と威厳ある一ト睨で、帝釈天は凹《へこ》んで面をふくらせたのは、溜飲が下った。山本さんは更に主任達の方を向いて、
「今の妨害者は当現場の監督者側の人とすると、此際|彼《あ》の様な挙動は、貴方達に却て不利益ですぞ」
 と決め付けた。主任と閻魔と閉口しつつ弁解がましく、述立てようとするのを耳にもかけず、
「今の発言者、遠慮なく述べなさい」
 之に勢《いきおい》づいた山田は感激に満ちて滔々《とうとう》と述べた、如何に無道徳で、如何に残酷で、如何に悲惨であるかを、実例を引き引き巨細《こさい》に訴えた。一同は山田が自分達を代表して弁じて呉れるとして肯定の色に満ち満ちた。続いて淫売殺しの木村も案の定立ち上って喋舌ったが、弁舌では山田に及ばないが、例証を挙げることの綿密なのには誰も彼も「よくマア」と感服した。無
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