り》も無く行われるので詐欺、放火、毒殺などの女性的な、迂曲《まわりくど》い方法は流行《はや》らぬ、此世界では良心や温情は罪悪である、正義や涙は篦棒《べらぼう》である。腕力、脅威が道徳で、隠忍、狡滑が法律である。殺人、傷害、凌辱、洞喝が尋常茶飯事で、何の理由も無く平気で行われ、平気で始末される、淫売窟に性道徳が発達しない如く、斯る殺人公認の世界には探偵小説が生じ得ない。
(三)
山田という男は、早稲田に居る内、過激思想にかぶれ、矯激な行動をやったので半途で抛り出された上、女の事から自棄になって、死ぬ積りで飛込んで来た丈に中々負けては居ないが、力づくでは何ともならぬ。思想の宣伝で行《や》っ付けてやるのだと予々《かねがね》言って居て、随分自分も御説教を聞かされたものだ。夫でも虐待には熟々《つくづく》やり切れぬと見えて、
「来るッてエなア何時だろうナ、なまじ聞かされた丈に待遠うで仕方がねエ」
「御同様サ、今日聞き込んだが、二、三日前に這入《へえ》って来たバツク[#「バツク」に傍点]の(東京|下《くだ》りのハイカラ)生《なま》ッ白《ち》れエ給仕上りの野郎に聞いたんだが、議会で政府のアラ捜しより能の無え議員が、大分鋭く監獄部屋の件で内務大臣に喰って掛ったそうな、責任塞げにでも、役人に調査材料を集めに派遣《よこ》すのだとサ。何《いず》れ議会の開期中だから、左様遠くもあるめエ、然しネ、オイ、斯様《こんな》一目瞭然の事実を山の鬼共はどう糊塗《ごまか》す積かナア、一寸思案が付かねエがナア」
「奴等は一筋縄でも十筋縄でも行かねエ悪党の寄集りだから、何《いず》れ直《すぐ》に御辞儀は仕まいが、俺などが来て随分|鼓吹《こすい》宣伝した為に第一此方等が今迄の人間見てエに黙らされちゃア居ねエ、思う存分役人の前でスッパ抜いてやるから、何と遣繰《やりくり》したって、どう辻褄が合うものかヨ、隣の飯場に居る玉の井の淫売殺しをやった木村ッてノッポが居るだろう、彼奴も誰が何と云おうと喋舌《しゃべ》り立ててやると言ってたサ、四、五人が先棒になって喋舌れば、後は皆元気付いて口が開《き》けるだろう、左様すりゃ蜂の巣を突ッついた様なもんだ、二百や三百の上飯台《うわはんだい》の悪党共がジタバタしたって何様なるもんか、生命を投出してりゃ何アニ!」
被害者の希望、歓喜は、虐待者の憂慮である。人々の希望が日を逐うて潮《うしお》の如く高まると共に、上飯台の連中や幹部連の凄惨な顔色は弥々《いよいよ》深くなる。只でも油断のない眼は耀《ひかり》を増し、耳は益々尖って来る。
「又今日も親方連は会議室へ集ってるが、念入と見えて、可成長くかかってるな。一番性の悪い、残酷な閻魔の親爺《おやじ》が、此二、三日の気の荒さッちゃ無えそうだ、だが独りぼッちになると時々溜息突いてるって話だ、余ッ程気になるんだろう」
「夫りゃア奴等だって悪い事たア百も承知の上だから気にもなりゃア、溜息も突こうサ……黙ッた黙ッた帝釈天だ」
「ヤイヤイ、此奴等ア又怠けやがるナ、何に言ッてやがったんだ、エエ、オイ(と山田に向って)生公《なまこう》、何の相談をしやがったんでイ」
「ウン、何も話なんか仕やし無えや」
「何ヨ、手前は一体生意気だぞ、オダ上げると焼きヨ入れてやるぞ、夫から手前達、今日は特別に早引けで五時限りにして遣《や》るから、其跡で持場や、部屋の居廻りヨ念入りに片付けて掃除をしろ、夫からモ一つ言って置くがナ、手前達、物を言うにゃア、ようく後前《あとさき》ヨ考えてぬかせ、ウッカリ顎叩くと飛んでも無え間違《まちげえ》になるぞ、後で、吠え面《づら》かかねエ様にしろ、大事《でえじ》に使やア一生ある生命だア、勿体《もってえ》なくするな」
呶鳴続け、睨め付けてノソリノソリ往って了うと、
「一生ある生命には違《ちげえ》ねえが、其一生が平均三ヶ月てんだ、晩《おそ》かれ早かれで同じ事だ」
「然しあんなに駄目を押して、予防線《くぎ》をさすッてエなア何様《どう》せ例《いつ》もの洞喝《おどかし》だろうが――奴等も大部こたえたらしいナ」
「オイオイ、夫れよりや早引けの掃除ッてなア、弥々《いよいよ》明日になったんだぜ」
「それサ、己《おれ》も先刻《さっき》から其奴を言おうと思ってたんだ、何しろ難有《ありが》てエ難有てエ、ア、助ったナア」
と歓喜の色は一同《みんな》の顔に漲《みなぎ》った。
(四)
山の幹部連中は前の晩から十何里|距《へだた》った汽車の着く町迄|出迎《でむかえ》に出かけて居る、留守は上飯台の連中が、取片付けに吾々を追廻し乍らも、口では夫れとなく、裏切りをすれば生命は無いぞと脅すのを忘れなかった。然も眉間の間には心配と反抗との混交《まじ》った凄味を漂わせて居る。一方吾々下飯台の方は、
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