だった。それから、低声でこうつけ足した。
『――三沢の奴、あれだけ噛ましておけば、当分大丈夫だ。あれはね、これから重要な役割をはたす男なんだ。あれで、君、みかけによらぬ大金を持ってるんだよ――』
 なんのことかわからないが、この数学の教師はあんがい長いメートルで、人を計ってみているのかも知れない。私が『Furnished Room』のサインをみつけて、部屋を交渉しているあいだ、彼は黙ってそれを聞いていたが、終ると、うなずいて、さっさと歩き出した。ともかくも、私は東五十六丁目の――番地エリック方へ陣取って、鞄をあずけ、一週間分の間代を前金で払い、鍵を受取って、木元の跡を追いかけた。
 彼は、軒なみ同じような作りの、石段と鉄柵の家を探すように頭をかがめて歩いていたが、その一軒の、石段の横腹に『鶴亀』とサインの出ているところへ出ると、にわかに元気づいたふうに、横の地下室へはいる鉄格子を靴の尖で蹴ってはいった。プーンという醤油の匂いが鼻をつく。奥からは皿小鉢の日本的な物音がする。
『はいりたまえ、こっちへ。』
 木元は横手の食堂から、手をひろげて招じ入れた。この男の手は、きわめて特長的なものだ
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