A狂つた蜘蛛のやうに、
    あなたの頸を走るでせうから。

あなたは僕に云ふでせう、『探して』と、頭かしげて、
僕等蜘蛛|奴《め》を探すには、随分時間がかかるでせう、
    ――そいつは、よつぽど駆けまはるから。
[#地付き]一八七〇、十月七日、車中にて。
[#改ページ]


 災難


霰弾《(さんだん)》の、赤い泡沫《しぶき》が、ひもすがら
青空の果で、鳴つてゐる時、
その霰弾を嘲笑《あざわら》つてゐる、王の近くで
軍隊は、みるみるうちに崩れてゆく。

狂気の沙汰が搗《(つ)》き砕き
幾数万の人間の血ぬれの堆積《やま》を作る時、
――哀れな死者等は、自然よおまへの夏の中、草の中、歓喜の中、
甞《(かつ)》てこれらの人間を、作つたのもおゝ自然《おまえ》!――

祭壇の、緞子《(どんす)》の上で香を焚き
聖餐杯《(せいさんはい)》を前にして、笑つてゐるのは神様だ、
ホザナの声に揺られて睡り、

悩みにすくんだ母親達が、古い帽子のその下で
泣きながら二スウ銅貨をハンケチの
中から取り出し奉献する時、開眼するのは神様だ
[#地付き]〔一八七〇、十月〕
[#改ページ]

 シーザーの激怒


蒼ざめた男、花咲く芝生の中を、
黒衣を着け、葉巻|咥《(くは)》へて歩いてゐる。
蒼ざめた男はチュイルリの花を思ふ、
曇つたその眼《め》は、時々烈しい眼付をする。

皇帝は、過ぐる二十年間の大饗宴に飽き/\してゐる。
かねがね彼は思つてゐる、俺は自由を吹消さう、
うまい具合に、臘[#「臘」に「(ママ)」の注記]燭のやうにと。
自由が再び生れると、彼は全くがつかりしてゐた。

彼は憑《(つ)》かれた。その結ばれた唇の上で、
誰の名前が顫へてゐたか? 何を口惜《くや》しく思つてゐたか?
誰にもそれは分らない、とまれ皇帝の眼《め》は曇つてゐた。

恐らくは眼鏡を掛けたあの教父、教父の事を恨んでゐた、
――サン・クルウの夕べ夕べに、かぼそい雲が流れるやう
その葉巻から立ち昇る、煙にジツと眼《め》を据ゑながら。
[#地付き]〔一八七〇、十月〕
[#改ページ]

 キャバレ・※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ールにて


[#地付き]午後の五時。

五六日前から、私の靴は、路の小石にいたんでゐた、
私は、シャルルロワに、帰つて来てゐた。
キャバレ・※[#濁点付き片仮名ヱ、1−7−84]ールでバタサンドヰッチと、ハムサンドヰッチを私は取つた、
ハムの方は少し冷え過ぎてゐた。

好い気持で、緑のテーブルの、下に脚を投出して、
私は壁掛布《かべかけ》の、いとも粗朴な絵を眺めてた。
そこへ眼の活々とした、乳房の大きく発達した娘《こ》が、
――とはいへ決していやらしくない!――

にこにこしながら、バタサンドヰッチと、
ハムサンドヰッチを色彩《いろどり》のある
皿に盛つて運んで来たのだ。

桃と白とのこもごものハムは韮の球根《たま》の香放ち、
彼女はコップに、午後の陽をうけて
金と輝くビールを注いだ。
[#地付き]〔一八七〇、十月〕
[#改ページ]

 『皇帝万歳!』の叫び共に贏《(か)》ち得られたる
 花々しきサアルブルックの捷利


[#地付き]三十五サンチームにてシャルルロワで売つてゐる色鮮かなベルギー絵草紙

青や黄の、礼讃の中を皇帝は、
燦たる馬に跨つて、厳《いか》しく進む、
嬉しげだ、――今彼の眼《め》には万事が可《よ》い、――
残虐なることゼウスの如く、優しきこと慈父の如しか。

下の方には、歩兵達、金色《こんじき》の太鼓の近く
赤色《せきしよく》の大砲《ほづつ》の近く、今し昼寝をしてゐたが、
これからやをら起き上る。ピトウは上衣を着終つて、
皇帝の方に振向いて、偉《おほ》いなる名に茫然自失《ぼんやり》してゐる。

右方には、デュマネエが、シャスポー銃に凭《もた》れかゝり、
丸刈の襟頸《えりくび》が、顫へわななくのを感じてゐる、
そして、『皇帝万歳!』を唱へる。その隣りの男は押黙つてゐる。

軍帽は恰《(あたか)》も黒い太陽だ!――その真ン中に、赤と青とで彩色された
いと朴訥なボキヨンは、腹を突き出し、ドツカと立つて、
後方部隊を前に出しながら、『何のためだ?……』と云つてるやうだ。
[#地付き]〔一八七〇、十月〕
[#改ページ]

 いたづら好きな女


ワニスと果物の匂ひのする、
褐色の食堂の中に、思ふ存分
名も知れぬベルギー料理を皿に盛り、
私はひどく大きい椅子に埋まつてゐた。

食べながら、大時計《オルロージュ》の音を聞き、好い気持でジツとしてゐた。
サツとばかりに料理場の扉《と》が開くと、
女中が出て来た、何事だらう、
とにかく下手な襟掛をして、ベルギー・レースを冠つてゐる。

そして小さな顫へる指で、
桃の肌へのその頬を絶えずさは
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