トゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙※[#「てへん+畜」、第3水準1−84−85]患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳《こぶし》をあてがひ
舌をば出した、眼《めんめ》をつぶつて点々《ぼちぼち》も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗《(てんまど)》の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠《かはや》の涼気のその中に、御執心にも蟄居《(ちつきよ)》した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後《うしろ》で、冬の陽光《ひかり》を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗《まみ》れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼《め》を細くして、
汚れた壁に匍《(は)》ひ付いた、葡萄葉《ぶだうば》の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼《め》をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放《あ》げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々《(たまたま)》見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼《め》をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語《ロマン》を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿《かがや》いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗《(サラサ)》模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘|奴《め》が、その背に編髪《おさげ》を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股《もゝ》に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵《かかと》で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち
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