なんか一言も言やしないのにさ。」
「でも、考えてらしたわ。」
「いいや、だんぜん考えてもいなかった。」
「じゃ、想像してらしたわ。」
「なにを、ばかな。夢にだって想像していなかったよ!」
「まあ、なんだってそんな金切り声をお立てになるの?」
「べつに金切り声なんか立てやしないさ!」
「だって『なにを』だの……『ばかな』だのって。……そりゃ一体なんですの?」
「それはお前、お前の言うことを聞いてると、ついむしゃくしゃしてくるからさ。」
「へえ、それで分ったわ! そりゃわたしが金持の娘で、持参金をかかえて来たら、さぞよかったでしょうとも……」
「げッ、むむむゥ!……」
 といった次第でね、僕はとうとう嚇として、亡くなった詩人トルストイの言草を借用すれば、『初めは神の如く、終りは豚の如し』の体たらくになっちまったのさ。僕はさも憤然とした様子をして、――けだし正直のところ、あらぬ濡衣をきせられた感じだったからね、――頭をふりふり、くるりと相手に背を見せると、書斎へ引揚げてしまった。それも、いざ後ろ手にドアをしめる段になって、なんとしても腹の虫がおさまらず、――わざわざドアをまた開けて、こう言ってやったものだ、――
「おい、なんぼなんでも卑劣だぞ!」
 すると家内は澄まし返って、
「|憚り様《メルシ》、あなた。」

      ※[#ローマ数字3、1−13−23]

「ええ、くそ、なんてざまだい! おまけにそれが、とっても幸福な、ほんの一瞬の間だって波風ひとつ立った例しのない、夫婦生活四年間のあげくの果てと来ていやがる!……忌々しい、業っ腹だ――やり切れん! なんて馬鹿げたこったろう。しかも事の起りはそもそも何だ!……みんな弟のやつのせいじゃないか。おまけにこの俺が大人気もなく、こんなにカンカンに息み返るとは、なんてざまだい! 弟のやつはもうちゃんと一人前の大人で、どこの誰が好きになろうと、どこの誰を嫁にもらおうと、じぶんで判断する資格があるわけじゃないか?……やれやれ、今どきじゃもう、生みの息子にだってそんな指図をするのは流行らんというのに、いまだに弟は兄貴の言いなり放題にならなきゃならんというのかい。……第一そんな監督をする権利がどこにある?……そもそも、この俺が、これこれの嫁をもらえば行末はこれこれになるなんて、確信をもって予言できるような、千里眼になれるとでもいうのか
前へ 次へ
全21ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
レスコーフ ニコライ・セミョーノヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング