、カテリーナ・リヴォーヴナは考えた。――『ええ、いっそ思いきっておみこしを上げて、中庭をひと歩きしてみるか、それとも庭の方へでも行ってみるとしよう。』
そこでカテリーナ・リヴォーヴナは、花模様のついた緞子の古外套をひっかけると、おもてへ出ていった。
そとはさんさんと明るい日ざしで、深ぶかと胸いっぱい息がつけた。穀倉の前の差掛《さしかけ》のところで、いかにも面白そうな笑い声がしている。
「何がそんなに面白いのさ?」とカテリーナ・リヴォーヴナは、舅の使っている番頭衆に問いかけた。
「なにしろお内儀《かみ》さん、ぴんぴん生きた牝豚の目方をはかろうって言うんでございますよ、はい、エカテリーナ・イリヴォーヴナ」([#ここから割り注]訳者註。リヴォーヴナの頭にイを添えたのは一種馬鹿丁寧な下品な呼び方[#ここで割り注終わり])と、年寄りの番頭がいんぎんに答えた。
「牝豚って、一体なんのことなの?」
「つまりこうでさあ、アクシーニヤという牝豚のことなんでさ。やっこさん、めでたく息子のヴァシーリイを産み落としたのはいいが、おいらを洗礼祝いに招《よ》んでくれなかったんでねえ」と、悪びれぬ陽気な調子で、一人の若い衆が説明した。それは鼻っ柱のつよそうな、きれいな顔をした男で、漆のように黒ぐろとした渦まき髪と、やっと生えかけたちょび髯が、その顔をふちどっている。
するとその時、秤杆《はかりざお》へ吊るさげたメリケン樽のなかから、おさんどんのアクシーニヤの血色のいいハチきれそうな豚づらが、ぬうっとのぞいた。
「ええ、忌々しいよ、のっぺり面の極道者めらが!」と、おさんどんは口汚なく罵りながら、なんとか鉄の杆《さお》にとっつかまって、ぐらぐらする樽から脱け出そうと懸命だった。
「夕飯前でも結構三十五貫と出たぜ。これで大籠いっぱい乾草を平らげようもんなら、分銅の方が追っつかねえや!」と、またもや美男の若い衆が口上を述べて、樽をぐいとかしげざま、片隅に積んであった叺《かます》のうえへ、おさんどんをどさりと抛りだした。
おさんどんは冗談はんぶん悪口雑言をならべながら、みだれた髪や衣裳をつくろいはじめた。
「ねえちょいと、わたしはどのくらい掛かるかしら?」とカテリーナ・リヴォーヴナは茶目気をだして、縄につかまると、ひょいと台の上へとび乗った。
「十四貫八百」とおなじ美男の若い衆セルゲイは、分銅を皿へ投げこんで、そう報告すると、――「へ、呆れたもんだ!」
「何をお前さん呆れたんだい?」
「だって、おかみさんが十五貫もあるなんてさ、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ。あっしは、こう思うんですがね、――よしんばまる一んち、おかみさんを両手で抱《だ》っこしていろって言われたところで、どだいもう苦になるどころか、ただもうぞくぞく嬉しいばかりだろうってね。」
「ひどいよ、まるでわたしが人間じゃないみたいにさ、ええ? そのくせ、いざ抱《だ》っこしてみたところが、やっぱしへとへとになったってね」と、絶えて久しくそんな軽口を耳にせずにいたカテリーナ・リヴォーヴナは、ぽっと耳の根を紅らめながらひとまずそうやり返したが、と同時にむらむらっと、思いっきり陽気な無駄口をたたいてみたい、冗談口の限りをつくしてみたいと、そんな慾望が湧いたのである。
「とんでもねえ! この世の極楽だというアラビヤくんだりまでだって、立派に抱いて行ってお目にかけまさあ」とセルゲイは、こっちも負けず言い返した。
「お前さんの考えは、なあ若えの、どうやらまっとうじゃねえぜ」と、粉を袋へ移していた小百姓が言った、――「おいらにさ、なんの目方がかかるもんかね? 目方のかかるのは、第一おいらの肉体《からだ》かよ? おいらのからだはな、なあ若えの、秤にかけりゃ一匁だって掛かることじゃねえ。腕っぷしだよ、目方がかかるなあ、俺らの腕っぷしだよ――からだなんぞじゃねえ!」
「そう言や、わたしも娘のころは、これでもとても腕っぷしが強かったものよ」と、またしても自分を制しきれなくなったカテリーナ・リヴォーヴナが言った。――「男にだってめったに負けなかったほどだわ。」
「へえ、そういうことなら一つ、お手をちょいと拝借と行きやしょうかね」と、美男の若い衆が言った。
カテリーナ・リヴォーヴナはちょっとたじろいだが、とどのつまり手を差しだした。
「だめよ、指環をとらなくちゃ、痛いじゃないの!」と、セルゲイが力まかせに彼女の手を握りしめたとき、カテリーナ・リヴォーヴナは悲鳴をあげて、あいている方の手で男の胸へお突きを喰らわせた。
若者はお内儀の手をはなすと、お突きを喰らったはずみで、たじたじと二あしほど横っ飛びにすっ飛んだ。
「そら見たことかい、それでやっとお前さんにも、女の底力がわかったというもんさ!」と、例の小百姓が頓狂な音《ね》をあ
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