げた。
「いんや、なかなかそうでねえ。今度はひとつ、組打ちと行きやしょう」とセルゲイは、渦まき髪をさっと後ろへさばきながら、真向からいどみかかった。
「いいともさ、さあかかっておいでな」と、つい面白くなったカテリーナ・リヴォーヴナは答えて、両の肘をもちあげた。
セルゲイは若いお内儀に組みつくと、相手のむっちりと盛りあがった胸を、じぶんの赤いルバーシカへ押しつけた。カテリーナ・リヴォーヴナは、わずかに両肩を一揺りゆすり上げようとしたばかりで、セルゲイにまんまと床《ゆか》から釣りあげられ、暫くはそのまま両手でぎゅっと抱きしめられたあげく、引っくり返しの枡の上にふわりとおろされた。
カテリーナ・リヴォーヴナは、得意の腕っぷしを使おうにも、そのひまが結局なかったのだ。赤いどころか、それこそまっ赤になった彼女は、そのまま枡に腰かけて、肩からずれ落ちた外套を引きつくろうと、そっと穀倉から出ていった。いっぽうセルゲイは、威勢のいい咳払いを一つして、こう呼ばわったのである。――
「やいみんな、この間抜野郎め! ぽかんとしてずに、さっさと粉を入れるんだ、うっかり量り込まずにな。塵もつもれば山となる、って言わあ。」
今しがたの事なんか、けろりと忘れたような顔だった。
「あれで中々の女たらしなんでございますよ、あのセリョーシカのやつ!」と、よちよちカテリーナ・リヴォーヴナの後ろからついて行きながら、おさんどんのアクシーニヤは説明するのだった。「あの騙児《かたり》め、上背《うわぜい》といい、お面《めん》といい、男っぷりといい、――ちょいと水際だっておりますからねえ。この女と見当をつけるが早いか、あの極道者、あっという間にもう蕩しこんで、ものにして、果ては身をあやまらせてしまうんですよ。おまけにもう、根が大の浮気もんでしてね、移り気も移り気、――昨日は東、今日は西って調子なんでございますよ!」
「でどうなの、アクシーニヤ……あの……」と、彼女の前に立って歩きながら、若いおかみさんが言った、――「お前さんの子は生きてるかい?」
「生きとりますよ、おかみさん、生きとりますよ――どうして中々! 憎まれっ子、世にはばかるって、この事でございますよ。」
「いったい誰の胤なのさ?」
「いえなに! つまりまあ、父《てて》なし児でございますよ――こうして大勢の男衆にまじっていますもんで――父なし児でございますよ。」
「うちへ来てから長いのかい、あの若い衆?」
「誰でございます? あのセルゲイのことでございますか?」
「そう。」
「おっつけ一月になりましょう。それまでは、コンチョーノフさんの店におりましたが、旦那に追んだされたんでございますよ」――と、そこでアクシーニヤは声をおとして、こう言い添えた、――「世間の噂じゃ、なんでも当のおかみさんと、出来あっていたとやら申しますよ。……いやはやもう、とんだ極道もんでございますよ、大それた奴でございますよ。」
※[#ローマ数字3、1−13−23]
なまぬるい、牛乳のような薄ら明りが、町の上にかかっていた。ジノーヴィー・ボリースィチは、まだ堤防工事から帰ってこなかった。舅のボリース・チモフェーイチも留守だった。古い友達のところへ、名の日の祝いに招ばれていって、夜食は待たずに済ましてくれと言い残したのである。カテリーナ・リヴォーヴナは退屈まぎれに、早目に夕飯をすますと、例の屋根裏の小窓を押しひらき、窓の柱によりかかったまま、ヒマワリの種子を噛んでいた。店の者たちは台所で夜食をすますと、寝場所をもとめて中庭を思い思いに散っていった。車小屋の軒さきを借りる者もある、穀倉をめざす者もある、香ばしい乾草置場へよじ登っていく者もある。一ばん後から台所を出てきたのはセルゲイだった。彼はしばらく中庭をぶらついてから、番犬の鎖を順ぐりに解いてやり、ややしばし口笛を吹いていたが、やがてカテリーナ・リヴォーヴナの窓の下にさしかかると、ひょいと彼女の方をふり仰いで、丁寧におじぎをした。
「今晩は」と、小声でカテリーナ・リヴォーヴナは、屋根裏から声をかけたが、それなり中庭は、まるで無人境のようにひっそりしてしまった。
「奥さん!」――ものの二|分《ふん》もしたかと思うとき、掛金《かけがね》のかかったカテリーナ・リヴォーヴナの部屋の戸の向うで、誰やら言った者がある。
「だれ?」――思わずぎょっとして、カテリーナ・リヴォーヴナはきいた。
「いや、怪しいもんじゃありません。わっしです、セルゲイです」と、番頭が答えた。
「何か用なの、セルゲイ?」
「ちょいとお耳を拝借したいことがあるんです、カテリーナ・リヴォーヴナ。なあに、ほんのつまらない事なんですが、ちょいとそのお願いの筋があるもんでして。ほんの一分ほど、お目通りをねがえませんか。」
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