カテリーナ・リヴォーヴナは掛金をはずして、セルゲイを入れてやった。
「なんなのさ?」と彼女はきいて、そのまま小窓の方へ離れていった。
「じつはその、カテリーナ・イリヴォーヴナ、お願いというのは、何かちょいと読むような本が、お手もとにないでしょうか。退屈で淋しくって、まったくやりきれないんで。」
「わたしんとこにゃ、セルゲイ、あいにく本なんか一冊もないよ。わたしが第一、読まないもんでね」と、カテリーナ・リヴォーヴナは答えた。
「じっさい淋しいんでねえ」と、セルゲイは訴えるように言う。
「何がそう淋しいんだい!」
「まあ察しておくんなさい、どうして淋しがらずにいられましょう。ご覧のとおり若い身ぞらでさ、しかもここの暮らしと来た日にゃ、どっか修道院か何かにぶち込まれたも同然じゃありませんか。おまけに身の行く先でわかっていることといったら、いずれお墓の下で横になるその日まで、どうやらこうして話相手もない境涯のままで、一生を棒にふることになるらしい――ということだけですしねえ。時にや自棄っぱちにもなりますよ。」
「どうして嫁さんを貰わないのさ?」
「嫁をもらうなんて、奥さん、そう易々と言えるこってすかね? 一たい誰が嫁に来てくれるというんです? あっしはご覧のとおりの小者です。まさか旦那のお嬢さんが来てくれるはずもなし、そうかといって、何せ金がないもんであっしども仲間と来た日にゃみんな、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、奥さんも先刻ご存じのとおり、無教育ものばかりでさあ。そうした家の娘っ子に、ほんとの愛というものを弁えろと言ったところで、どだい無理というもんじゃありませんか! どうです奥さん、これであの連中とお金持との間には、どれほど物の考えように隔たりがあるかということが、お分りでしょうな。早い話が現にあなただっても、こう申しちゃなんですが、じぶんの気持を分ってくれる人間であってくれさえすりゃ、たとえそれがどこのどいつであろうとも、ただもうその男一人に身も心もささげて、明け暮れ慰めもし励ましもしてやろうものをと、そんな気持でいらっしゃるに違いないんだ。ところがどうです、実際はこうしてこの家で、籠の鳥みたいに囲われてらっしゃるじゃありませんか。」
「そう、あたしだって淋しいわ」と、カテリーナ・リヴォーヴナは思わず口をすべらした。
「まったくこんな暮らしじゃ、奥さん、淋しがるなって言われたって淋しがらずにゃいられませんよ! これじゃたとい、よく世間の奥さんがたがなさるように、よしんばほかに誰かいい人があったにしたところで、一目逢うことだって出来やしませんものねえ。」
「え、なんだって?……そんなことじゃないわ。あたしの言うのはね、ただこれで赤《やや》さんが出来さえすりゃ、それだけでもう気が晴ればれするだろうと思うのさ。」
「ですけどね奥さん、こいだけは申し上げときますがね、赤ちゃんが出来るにしたって、ただのほほんとしてたって駄目なんで、やっぱし何か種がなくちゃ始まりません。ねえ奥さん、こうしてもう長の年つき旦那がたのとこで暮らして、商家のお内儀《ないぎ》というものの明け暮れがどんなものかということも、さんざん見あきるくらい見てきていながら、それでもやっぱしお互い何か胸に思いあたることはないもんでしょうかね? こんな唄がありましたっけ――『心の友がないままに、ふさぎの虫にとり憑かれ』ってね。ところで奥さん、このふさぎの虫っていう奴が、こう申しちゃなんですが、ねえカテリーナ・イリヴォーヴナ、じつはほかならぬこのあっしの胸にしたたかこたえましてね、いっそもうあっしは、匕首でもってぐさりとこの胸からそいつを切りとって、ひと思いにあんたのそのおみ足へ、叩きつけてやりたいと思うほどなんです。そうしたらもうその途端に、百層倍もこの胸のなかが軽くなることでしょうにねえ……」
 セルゲイの声はわななきはじめた。
「何さ、そのお前さんの胸のなかだの何だのっていうのは一体? あたしにゃそんなこと、面白くも痒くもありゃしないよ。もういいから、さっさとあっちへおいでな……」
「いいえ、お願いです、奥さん」とセルゲイは総身をわなわなと震わせながら、カテリーナ・リヴォーヴナの方へ一あし踏み出しながら言った。――「あっしは知っています、この眼で見ています、いやそれどころか、はっきりこの胸に感じもし、しみじみお察しもしているんです――あんたの境涯も、あっしに劣らず辛いものだということをね。ね、いいですか、今こそ」と彼は、全くかすれきったせいせい声で、――「今こそ、成るも成らぬも、万事あんたの手の振りよう一つなんですぜ、あんたの首の振りよう一つなんですぜ。」
「何を言いだすんだい? なにをさ? 一たい何しに来たというの? あたし、窓から身を投げるわよ」――とカテリーナ・リヴ
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