帝だったかニコライ・パーヴロヴィチ帝だったか、そこは分らない)。そしてオリョールで一泊ということになり、その晩はカミョンスキイ伯の劇場に臨御になるはずであった。
 そこで伯爵は土地の貴紳をのこらずその劇場に招待し(したがって座席券は売出されなかった)、極上きわめつきの出し物をすぐって上演した。リュボーフィ・オニーシモヴナは『名曲集』の合唱をやり、『シナの菜園婦』を踊ることになっていたところ、そこへ突然、最後の本稽古の最中に、書割りが倒れて、ある女優が脚に打撲傷を負った。その女優は『ド・ブールブラン公夫人』という芝居の主役を振られていた。
 わたしはそんな名前の役には、ついぞ何処でもお目にかかったことがないが、とにかくリュボーフィ・オニーシモヴナは確かにそう発音したのである。
 書割りを倒した大道具衆は、お仕置きのため馬屋へ閉じこめられ、負傷した女優はさっそく自分の小部屋へ運びこまれたが、さて肝腎のド・ブールブラン公夫人の役をやる女優が誰もいない。
「そこでね」と、リュボーフィ・オニーシモヴナは語る、――「わたしが買って出たのです。というのも、ド・ブールブラン公夫人が父君の足もとに身を投
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