をかけられましたが、その扱いはまあ、上《うえ》つがたのお屋敷で若い乳母たちの受ける取締りに似ていました。老女衆がお目付役につけられて、その老女衆にはめいめい子供があります。そして万が一、わたしたちのうち誰かしらの身に何かあやまちが起ろうものなら最後、老女衆の子供たちが寄ってたかって、世にもむごい仕打ちに逢わせるのでした。」
不義はお家の御法度とやらいう掟を破っていいのは、その掟を定めた当の「殿様」御自身だけだったのだ。
※[#ローマ数字5、1−13−25]
リュボーフィ・オニーシモヴナは当時、娘ざかりの絶頂にあったばかりでなく、その多方面な才能の発達の上からいっても、最も興味ある時期にあたっていた。彼女は『名曲集《ポ・プリ》』の合唱にも加われば、『シナの菜園婦』では踊り子のリード役もつとめる。また悲劇役者の天分を感じていたので、「どんな役でも一目で[#「一目で」に傍点]呑みこみました」といった調子であった。
そんな年ごろのこと、何年の何月とははっきり分らないが、とにかく陛下が行幸の途すがら、オリョールに立寄られたことがあった(それも、アレクサンドル・パーヴロヴィチ
前へ
次へ
全55ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
レスコーフ ニコライ・セミョーノヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング