を置く場所を急造した。下に畳を敷き、周囲をネルの壁でかこった。その上を毛布の幕で被った。そしてピアノの音をトーキーのフィルムに撮影した。イグチは彼の持ついろいろのタッチの技巧をこのピアノの上で試みた。また私共はイグチの指の動き方を高速度活動写真でも撮影した。このような実験は必ずしも非常に正確だとは言えないかもしれない。しかし物の傾向を暗示するには十分である。そしてもちろん私の仕事はこれで終らない。これはほんの予備試験である。
その音の写真はどれもみなほとんど同じ音質を示している。イグチが最悪と考えたタッチからでも、最良と考えたタッチの音が出ている。逆に言えば、イグチが半生を費して鍛錬に鍛錬を重ねたタッチの技巧も一番素人くさい、一番悪い打ち方の音も本質的には別に何の変りもない。
ニッポン当代の名演奏家、第一流のピアニスト、イグチは、どんなタッチの技巧をもってしても、ピアノの音波の形を変えることは出来なかった。それならば、そのイグチの出来ない事を外の誰がするか。
イグチの師匠イーヴ・ナットはするか。イグチの尊敬するピアニスト、ゴローヴィッツはするか。あるいはパデレウスキーやコルトーな
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