る。イグチが手を病んだなら、――機械ピアノで誠にこの上もなく十分である。私はパデレウスキーなんかに用はない。
 私はパデレウスキーなんかに全く用はない。私はそんなものの興味で音楽を聞くのでは決してない。私がピアノを特に愛するのは、ピアノという楽器の音が特に私の耳に気持のいい感じを与えるからである。そしてこの美しい楽器に書かれたショパンやリストの名曲が特に私の感じに訴えるからである。私がピアノの音楽で聞こうと思うものは、リストが描き出した華やかな音の夢である。ショパンの唄った淋しい人生の哀歌である。それより外のものには用はない。
 諸君は円タクで郊外をドライヴする事があろう。その時諸君はなるべく乗り心地のいい円タクを選ぶであろう。諸君は窓から野や森の景色をながめて、自然の美しさを鑑賞するであろう。そして目的地についたら、円タクの運転手には五〇銭玉を一つ払って帰ってもらうであろう。この場合に、まさか自然の景色を見る事を忘れて、運転手のハンドルの握り方やペダルのふみ方ばかりを見つめている人はあるまい。もしそんな人があるとするならば、それは極めてくだらないドライヴをする人である。
 乗り心地の
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