があった。ところがこの井戸は、半分は家の中に半分は外にはみ出て、内外いずれからも使用できるようになっているので、打ち水の時などさぞ便利だろうと思われたが、奇妙なことには、部厚い板で蓋がされ、おまけに大きな釘で開かないように釘付けにされていた。釘はすっかり錆付いてほこりを浴びていた。もちろん他に水道の設備もあったので、母などは、
「まあまあ、よい井戸があるのに釘づけになっていておしいわね。でも子供が多いから、落ちでもしたらたいへんだし、当分このままにしておきましょうよ……」
 と、笑いながら引越荷物をといたりしていたものだが……。
 さて、近所に引越そばを配り終って、夕餉の膳がすんだ時、
「あなた、こんな立派な家なのに、ばかにお家賃が安いじゃありませんか」
 と母が父に話しかけたのを聞いた。
 庭に黒ずんだ蛙が、湿った土を滑りそうに這いずっている。後が水をふくんだ土手のせいか、どこよりも早く夜が訪れたように辺りは暗い。私は二階の自分の部屋に帰り、障子を開けて物干台に出た。
 どこかで馬のいななきが聞える。つづいて遠く聯隊の消燈ラッパの音が、少年の私には物珍らしく又さびしく聞えた。
「坊ち
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