早くしないかい。御馳走のブレツクフアストに後れてしまふよ。」かう云つてじれつたさうに手を揉んでゐる。
「もう直ぐですよ、お父うさん。ボヂルや、手袋をおくれよ。あの色の明るい方だよ。」
「あら、お嬢様、あなたお手に持つて入らつしやるではございませんか。」
「おや。さうだつけね。」お嬢さんは玄関の天井が反響するやうに笑つた。「さあ、もうこれで好いわ。」
家来は電気の掛かつたやうに、姿勢を正して、自動車の戸を開けた。
お嬢さんは晴れ晴れとした、身軽な様子をして、主人と並んで、階段の上に立つた。髪は乱れて黄金《こがね》色に額と頬とを掩つてゐる。褐色の目と白い歯とが笑つてゐる。
「まあ、なんといふ好いお天気でせう。」
「お天気は好いが、早くおし、早くおし。」
「あら、薔薇が綺麗ですこと。御覧なさいよ。」
「遅くなるよ。」
「なに。みんな待つてゐて下すつてよ。いつもそんなに早くは行かないから。そんなら、お父う様、さやうなら。」お嬢さんは両手で主人の首に抱き附いて、頬に接吻した。
「さあ、行つてお出よ。お午には帰つて来るだらうね。」
「帰りますとも。」今一度接吻した。そして石段を駈け降りて、自動
前へ
次へ
全12ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング