舌る事を書くのだらうか。その苦みをする報に何があるかと云ふと、唯友人の為めに尽すと云ふ満足を感ずるだけの事である。己は腹が立つて、自分で自分をなぐりたくなつた。実際己はランプを吹き消して、掛布団を掛けた跡で拳骨《げんこつ》で自分の頭や体中をこつ/\打つた。十分打つてしまふと、少し気が鎮まつたので、己は寐入つた。疲れ切つてゐるのでぐつすり寐たのである。それから何疋とも知れない猿共が体の周囲《まはり》に飛び廻つてゐる夢を見た。尤も明方になつてからは別なゆめになつた。それはエレナの夢であつた。

     四

 猿の夢を見たのは前日に見せ物小屋で、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]と一しよに飼つてある猿を見たからである。それとは違つて、イワンの妻君エレナを夢に見たには、別にわけがある。
 己はこの場で正直に言つてしまふ。己はあの女を愛してゐる。かう云つても、己の詞を誤解して貰つては困る。己があの女を愛すると云ふのは、親父が娘を愛すると同じである。どうしてあの女を愛してゐると云ふ事が己に分かつたかと云ふに、己は度々あの女の小さい頭を引き寄せて、接吻をして遣りたく
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