ぐれに呑んでくれたので、多年の宿望が一時に達せられたと云ふものだ。何かこの口で饒舌れば、人がそれを直ぐに筆記する。その内容を批評する。人口に膾炙《くわいしや》する。印刷する。世間に啓示《けいし》して遣るのだ。どれだけの才能を放棄して置いて、危く※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腸《はらわた》に葬つてしまふところであつたと云ふ事を、世間の奴等が理解するだらう。これ程の人物なら、大臣にでもすれば好かつたとか、国王にでも封《ほう》ずれば好かつたとか云ふだらう。君だつて考へて見給へ。例のガルニエエ・パジエエだなんぞと云ふ人間に、こつちがどれだけ劣つてゐると云ふのだ。まあ、妻とこつちとで相呼応して遣るのだ。こつちは智慧で光る。妻は美貌と愛敬とで光ると云ふわけだ。成程、あんな優れた貴夫人だから、あの人の奥さんになつたのだらうと云ふものもある。いや、あの人の奥さんだから、あんな優れた貴夫人に見えるのだと、その詞を修正するものもある。兎に角君、妻にさう云つてくれ給へ。アンドレイ・クラエウスキイの編纂した百科辞典があるから、あれをあす早速買ふが好い。何事が話に出て来ても、
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