くてはならないのでせうか。一体夫と云ふものは内にゐる筈のものではないでせうか。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中なんぞに澄ましてゐて好いでせうか。」
 この詞は己にはなんだか人が言つて聞かせたのを受売をしてゐるやうに聞えた。そこで己は少し激して云つた。「そんな事を仰やつても、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に呑まれたのは予期すべからざる偶然の出来事ではありませんか。」
 己が反対しさうになつたのを見て、細君も腹立たしげに己の詞を遮るやうに饒舌《しやべ》り出した。「あら、さうぢやなくつてよ。どうぞ黙つてゐて下さい。わたしそんな事は聞きたくないのですからね。ほんとにあなたのやうな方もないものです。いつでもわたしに反対ばかりなさるのね。あなたのやうに相談相手にならない方つてありませんわ。わたしに好い智慧を貸して下すつた事はないぢやありませんか。まるで縁のない人でも、かう云ふ場合には離婚の理由が十分成り立つものだと云つて聞かせましたわ。宅が月給を取らないだけでも十分の理由になるさうぢやありませんか。」
 己は殆ど荘重な語気で云つた。「エレナさん。一体今のお詞はたしかにあなたの口から出たのでせうか。どこかの悪党があなたに入智慧をしたのではないでせうか。それに俸給が出なくなる位な事実が、離婚の理由なんぞになるものですか。まあ、考へて御覧なさい。イワン君はあなたの事を思つて病気にもなり兼ねない様子ですよ。気の毒ではありませんか。ゆうべも、あなたの方では舞踏会なんぞへ行つて楽んでゐたのに、イワン君はさう云つてゐました。万已むを得ざる場合には、正妻たるあなたの事だから、一しよに※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中に住つて貰ふやうにしようかと云つてゐました。それは※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹が存外手広で、二人どころではない、三人でもゐられさうだからと云ふのです。」かう云つて、己は序《ついで》だから、昨晩の対話の概略を話して聞かせた。
 細君は不思議がつて聞いてしまつて云つた。「おやおや、まあ。あなた真面目でわたしにもあの※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中へ這ひ込めと仰やるの。あの中に宅と一しよにゐろと仰や
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