て見た。気分はどんなだか、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中はどんなだか、胃の中には外にまだどんな物が這入つてゐるかと云ふやうな事である。こんな事を問ふのは、友人に対する礼儀として当然の事だと信じたからである。
併しイワンは腹立たしげに、強情に、己の詞を遮るやうにして云つた。「一体どんな様子だね。」その声は声を嗄《から》して叫ぶやうで、号令に疲れた隊長が、腹を立てゝ何か云ふやうに聞えた。己はちよつと不愉快に思つた。元来己に対してこんな命令のやうな声をして物を言ふのは、平生からこの男の癖である。
己は腹の立つのを我慢して、チモフエイの言つた事を委《くは》しく話して聞かせた。併しイワンが己の声の調子で己が侮辱せられたやうに感じてゐると云ふ事だけは察するやうに努めて饒舌《しやべ》つたのである。
イワンはいつも己と話す時の癖で、手短に云つた。「ふん。親爺の言つた事はそれだけか。用事は用事できちんと話す人間が好きだ。センチメンタルないく地なしは、見ても癪に障る。併し今の身の上を、職務上こゝへ派遣せられてゐるものとして取り扱つて貰ひたいと君の云つたのは、全然無意義でないと云ふ事だけは認めても好い。報告をして好い事なら、学問上にも風俗上にも、幾らも新事実を挙げる事が出来るよ。併し今になつて見ると、事件が意外な方向に発展して来たから、もう俸給の多寡なんぞを論じてはゐられない。まあ注意して聞いてくれ給へ。君、腰を掛けてゐるかい。」
「いや。僕は立つてゐるのです。」
「そんならどこかそこらへ腰を掛け給へ。なんにもないなら、為方《しかた》がないから、地の上にでも坐り給へ。そしてこつちの云ふ事を注意して聞き給へ。」
己は癪に障つたから、側にあつた椅子を掴んで、椅子の脚ががたりと大きい音をするやうに置いて、腰を掛けた。
イワンは矢張り命令するやうな調子で云つた。「聞いてゐるかね。そこでけふの見物は非常に雑鬧《ざつたう》したよ。夕方になつた頃には、押し掛けて来る人数を、皆入場させる事が出来ない位だつた。巡査が来て人を制して、やつと秩序を恢復した位だ。持主のドイツ人が見せ物をしまつたのは、彼此八時頃でもあつただらう。いつもよりは余程早かつたのださうだ。さうしたのは、第一に見料の上高《あがりだか》を早く勘定して見たかつたのだ。それから第二にはあすの準
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