ならどうぞお詞添を。」
「いや。承知しました。まあ、そつと其筋の意図を捜つて見ませう。ところで一体持主は※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の代を幾ら欲しいと云つてゐるか、それを内々聞いてお貰ひ申すわけには行きませんかな。」チモフエイは余程機嫌が好くなつてゐる。
己は嬉しくなつて云つた。「それは是非問ひ合せて見ます。いづれ分かり次第、申し上げに出ませう。」
「そこであの細君は今一人で留守宅にゐるでせうね。さぞ退屈して。」
「お暇に見舞つてお遣りになる事は出来ますまいか。」
「出来ますとも。実はきのふもちよつと見舞はうかと思つた位です。それにかう云ふ好機会が出来ましたからな。ああ。なんだつてあの男は※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]なんぞを見に行つたのですかな。それはさうとわたしも一度は見たいものだが。」
「ええ。気の毒ですからイワンをも一度お見舞ひ下さいまし。」
「好いです。無論わたしが行つたとしても、それを意味のあるやうに取つては困ります。只個人として行くのですからな。そこでわたしはこれで御免蒙ります。今日もちよつとニキフオオルの所へ参る筈ですから。あなたはお出なさらんですか。」
「いいえ。わたくしはもう一遍※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の所へ参らなくてはなりません。」
「成程。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の所へ。まあ、なんと云ふ軽はずみな事をしたものでせうな。」
己はチモフエイに暇乞をして出た。頭の中には種々の考が輻湊してゐる。併し此時己は思つた。「兎に角チモフエイは正直な善人である。あの男が今年在職五十年の祝をするのは結構だ。さう云ふ風に勤める男は当世珍らしいから。」
己は急いで新道へ出掛けた。経験のあるチモフエイとの対話を、イワンに伝へようと思つて出掛けたのである。それには無論どうなつてゐるかと云ふ物見高い心持も交つてゐて、己の足を早めたのである。※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中にどんなにして居着いたか、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中で人間がどうして暮して行かれるか知りたいと思ふ心持も交つたのである。己は歩いてゐて、時々は夢を見てゐるのではないか
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