。当世自然科学が盛んに行はれてゐますから。本人が現在の位置に生活してゐて報告いたしたら宜しいではありますまいか。例之《たと》へば消化の経過を実地に観察して報告するとか云ふやうなわけには行きますまいか。事実の材料を集める目的で。」
「成程。して見るとそれは一種の分析的統計と云ふやうなものですな。一体そんな事はわたしには好く分からない。わたしは哲学者ではない。併しあなたは事実の材料と云ふ事を云はれたが、それでなくても我々は目下事実の多きに堪へないで、その処置に困る程です。それに統計と云ふものも随分危険なもので。」
「どうして統計が。」
「危険ですとも。それにイワンに報告をさせるにしても、その報告は横に寝てゐてするのでせう。一体横に寝てゐて勤めると云ふ事がありますか。それなんぞも頗る危険な新事実です。それにどうも先例のないのに困りますよ。何か只の一つでも似寄つた事があつたのを、あなたでも御承知なら、それはそんな所へ派遣すると云ふ事も出来るかも知れませんが。」
「併しどうも生きた※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]は今日《こんにち》までロシアにゐなかつたのですから。」
 チモフエイは暫く思案した。「ふん。成程。その点は反駁の理由として有力だとしても好い。それに依つてこの事件をなんとか処分する基礎が成り立つとしても好い。ところで一方から見ると、次第に生きた※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]が入り込んで来る。その腹の中は温かで、居心が好いので、役人が段々もぐり込むとなつたらどうです。とんだ悪例を開くと云ふものではありますまいか。誰も彼もその例に倣《なら》つて、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の腹の中に隠居して骨折らずに、月給を取るとなつたら、国家が立ち行きますまい。」
「併し兎に角気の毒なわけですから、お詞添《ことばぞへ》だけは願ひたいのですが。それからイワンが申しましたが、骨牌《かるた》の時あなたに七ルウベル借用した事がありますさうで。それを御返済いたすやうに、わたしに申しましたが。」
「さやう、さやう。それは先頃ニキフオル・ニキフオオリツチユの所で、あの男が負けたのです。上機嫌で、洒落を言つたり、笑つたりしてゐたのですが、飛んだ事になつたものですな。」主人は感動した様子である。
「そん
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