なくてはならない。工場主は自分の意志で機関を運転させて行くのである。
社会問題にいくら高尚な理論があっても、いくら緻密《ちみつ》な研究があっても、己《おれ》は己の意志で遣る。職工にどれだけのものを与えるかは、己の意志でその度合が極まるのである。東京化学製造所長になって、二十五年の間に、初め基礎の危《あやう》かった工場を、兎に角今の地位まで高めた理学博士増田|翼《たすく》はかく信じているのである。
製造所の創立第二十五年記念の宴会が紅葉館で開かれた。何某《なにぼう》の講談は塩原多助一代記の一節で、その跡《あと》に時代な好みの紅葉狩《もみじがり》と世話に賑《にぎ》やかな日本一と、ここの女中達の踊が二組あった。それから饗応《きょうおう》があった。
三|間《ま》打ち抜いて、ぎっしり客を詰め込んだ宴会も、存外静かに済んで、農商務大臣、大学総長、理科大学長なんぞが席を起たれた跡は、方々に群をなして女中達とふざけていた人々も、一人帰り二人帰って、いつの間にか広間がひっそりして来た。
もう十一時であろう。
今日の主人増田博士の周囲には大学時代からの親友が二三人、製造所の職員になっている少壮な
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