か。己の光栄だろうか。己はその光栄を担《にな》ってどうする。それがなんになる。己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然《てんぜん》としていなくてはならない。それが出来ぬとしたら、己はどうなるだろう。独りで煩悶《はんもん》するか。そして発狂するか。額を石壁に打《ぶ》ち附けるように、人に向かって説くか。救世軍の伝道者のように辻《つじ》に立って叫ぶか。馬鹿な。己は幼穉《ようち》だ。己にはなんの修養もない。己はあの床の間の前にすわって、愉快に酒を飲んでいる。真率な、無邪気な、そして公々然とその愛するところのものを愛し、知行一致の境界に住している人には、※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に劣っている。己はこの己に酌をしてくれる芸者にも劣っている」
こう思いつつ、頭を挙げて前を見れば、もう若い芸者はいなかった。それに気が附くと同時に、私は少し離れた所から鼠頭魚が私を見ているのに気が附いた。鼠頭魚は私の前に来て、じっと私を見た。
「どうなすったの。さっきからひどく塞《ふさ》ぎ込んでいらっしゃるじゃありませんか。余興に中《あ》てられなすったのじゃなくって」
「なに。大ちがいだ。つい馬鹿な事を考えていたもんだから」
こう云って私は杯を一息に干《ほ》した。
底本:「阿部一族・舞姫」新潮文庫、新潮社
1968(昭和43)年4月20日発行
1979(昭和54)年8月15日24刷
入力:j_sekikawa
校正:しず
2001年8月13日公開
2006年5月13日修正
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