A情《じやう》の上の感じをさせるやうにもなる。
 かういふやうに広狭《くわうけふ》種々の social《ゾチアル》 な繋累的《けいるゐてき》思想が、次第もなく簇《むら》がり起つて来るが、それがとうとう individuell《インヂヰヅエル》 な自我《じが》の上に帰着してしまふ。死といふものはあらゆる方角から引つ張つてゐる糸の湊合《そうがふ》してゐる、この自我といふものが無くなつてしまふのだと思ふ。
 自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからも、暇があれば外国の小説を読んでゐる。どれを読んで見てもこの自我が無くなるといふことは最も大いなる最も深い苦痛だと云つてある。ところが自分には単に我が無くなるといふこと丈ならば、苦痛とは思はれない。只刃物で死んだら、其|刹那《せつな》に肉体の痛みを覚えるだらうと思ひ、病や薬で死んだら、それぞれの病症|薬性《やくせい》に相応して、窒息するとか痙攣《けいれん》するとかいふ苦みを覚えるだらうと思ふのである。自我が無くなる為めの苦痛は無い。
 西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だと云つてゐる。自分は西洋人の謂《い》ふ野蛮人といふものかも知れ
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