ネいと思ふ。さう思ふと同時に、小さい時|二親《ふたおや》が、侍《さむらひ》の家に生れたのだから、切腹といふことが出来なくてはならないと度々|諭《さと》したことを思ひ出す。その時も肉体の痛みがあるだらうと思つて、其痛みを忍ばなくてはなるまいと思つたことを思ひ出す。そしていよいよ所謂《いはゆる》野蛮人かも知れないと思ふ。併しその西洋人の見解が尤もだと承服することは出来ない。
 そんなら自我が無くなるといふことに就いて、平気でゐるかといふに、さうではない。その自我といふものが有る間に、それをどんな物だとはつきり考へても見ずに、知らずに、それを無くしてしまふのが口惜しい。残念である。漢学者の謂《い》ふ酔生夢死《すゐせいむし》といふやうな生涯を送つてしまふのが残念である。それを口惜しい、残念だと思ふと同時に、痛切に心の空虚を感ずる。なんともかとも言はれない寂しさを覚える。
 それが煩悶になる。それが苦痛になる。
 自分は伯林《ベルリン》の 〔garc,on〕《ガルソン》 logis《ロジイ》 の寐られない夜なかに、幾度も此苦痛を嘗《な》めた。さういふ時は自分の生れてから今までした事が、上辺《うは
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