、導きの神(Musagetes)である」と Schopenhauer《シヨオペンハウエル》 は云つた。主人は此|語《ことば》を思ひ出して、それはさう云つても好からうと思ふ。併し死といふものは、生といふものを考へずには考へられない。死を考へるといふのは生が無くなると考へるのである。
 これまで種々の人の書いたものを見れば、大抵|老《おい》が迫つて来るのに連れて、死を考へるといふことが段々切実になると云つてゐる。主人は過去の経歴を考へて見るに、どうもさういふ人々とは少し違ふやうに思ふ。

    *    *    *

 自分がまだ二十代で、全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内には嘗《かつ》て挫折《ざせつ》したことのない力を蓄へてゐた時の事であつた。自分は伯林《ベルリン》にゐた。列強の均衡を破つて、独逸《ドイツ》といふ野蛮な響の詞《ことば》にどつしりした重みを持たせたヰルヘルム第一世がまだ位にをられた。今のヰルヘルム第二世のやうに、〔da:monisch〕《デモオニシユ》 な威力を下《しも》に加へて、抑へて行かれるのではなくて、自然の重みの下に社会民政党は喘《あ
前へ 次へ
全34ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング