謎は解けないと知つて、解かうとしてあせらないやうにはなつたが、自分はそれを打ち棄てて顧みずにはゐられない。宴会嫌ひで世に謂《い》ふ道楽といふものがなく、碁も打たず、象棋《しやうぎ》も差さず、球《たま》も撞《つ》かない自分は、自然科学の為事場《しごとば》を出て、手に試験管を持たなくなつてから、稀《まれ》に画や彫刻を見たり、音楽を聴いたりする外には、境遇の与へる日《ひ》の要求を果した間々に、本を読むことを余儀なくせられた。
ハルトマンは人間のあらゆる福《さいはひ》を錯迷《さくめい》として打破して行く間に、こんな意味の事を言つてゐた。大抵人の福《さいはひ》と思つてゐる物に、酒の二日酔をさせるやうに跡腹《あとばら》の病《や》めないものは無い。それの無いのは、只芸術と学問との二つ丈だと云ふのである。自分は丁度此二つの外にはする事がなくなつた。それは利害上に打算して、跡腹の病めない事をするのではない。跡腹の病める、あらゆる福《さいはひ》を生得《しやうとく》好かないのである。
本は随分読んだ。そしてその読む本の種類は、為事場を出てから、必然の結果でがらりと変つた。
西洋にゐた時から、Arc
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