ive《アルヒイヱ》 とか Jahresberichte《ヤアレスベヒリテ》 とか云ふやうな、専門の学術雑誌を初巻から揃《そろ》へて十五六種も取つてゐたところが、為事場に出ないことになつて見れば、実験の細《こま》かい記録なんぞを調べる必要がなくなつた。元来かう云ふ雑誌は学校や図書館で買ふもので、個人の買ふものではなかつたのを、政府がどれ丈雑誌に金を出してくれるやら分からないと思ふのと、自分がどこで為事をするやうになるやら分からないと思ふのとで、数千巻買つて持つてゐたが、自分は其中で専門学科の沿革《えんかく》と進歩とを見るに最も便利な年報二三種を残して置いて、跡は悉《ことごと》く官《くわん》の学校に寄附してしまつた。
 そしてその代りに哲学や文学の書物を買ふことにした。それを時間の得られる限り読んだのである。
 只その読み方が、初めハルトマンを読んだ時のやうに、饑《う》ゑて食を貪《むさぼ》るやうな読み方ではなくなつた。昔《むかし》世にもてはやされてゐた人、今《いま》世にもてはやされてゐる人は、どんな事を言つてゐるかと、譬《たと》へば道を行く人の顔を辻に立つて冷澹《れいたん》に見るやうに
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