とは違ふ。
 予はノラの家の「前房」と云ふことを書いた。これは廊下のやうになつてゐる所だ、玄關前の小座敷だ、玄關だと教へて貰つた。しかもそれが諾威の家ではと丁寧にことわつてある。前房が廊下のやうになつてゐることは、西洋諸國皆さうである。前房と云ふ語は大抵どの國にもあつて、予は二三十年來同一の意味に使つてゐる。前房への戸を玄關への戸と書けと教へては貰つたものの、こいつは少しをかしい。一體玄關とは禪寺の門ださうだ。人家では正面の入口である。玄關の戸はあつても、玄關への戸はあるまい。又玄關の前の小座敷も一人合點の語である。

      飴玉とマクロン

 ノラの食べる菓子を予はマクロンと書いた。それを飴玉と書けと教へて貰つた。これなんぞにはあつとばかりに驚かざることを得ない。Almond を入れた Macron は大きいブリキの罐に入れたのが澤山舶來してゐて、青木堂からいつでも買はれる。西洋の女がマクロンを食ふ場合と、日本の子供が飴玉を食ふ場合との相違はどの位違ふか、少し考へて見るが好い。誰やらの小説に、パリイの女學生二人がカルチエエ・ラテンの下宿あたりでマクロンを頬張りながら失戀の話をし
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