が夫の看病をしてゐる間《ま》、僕は彼女《かのをんな》の散歩の道連になることを申し込んだ。女は一応軽く辞退した上で僕の請を容れた。そこで僕は翌日女をスクタリへ連れて往つて、そこに終日ゐると云ふことになつた。そこにゐる乞食坊主を見たり、大きい墓地に往つて見たりしようと云ふのである。
 スクタリの墓地は実に立派な所である。君もきつとあの墓地の事の書いてある紀行を読んだだらう。そして糸杉の蔭に無数の墓がぴつしり並んでゐるのを想像することが出来るだらう。あそこで僕はジユリエツトに話をした。
 僕等は車を下りて、脇道に這入つて、あのステエルと云ふ柱形《はしらがた》の墓の倒れてゐるのに腰を掛けた。僕は両手でジユリエツトの手を握つた。ジユリエツトはその手を引かなかつた。木《こ》の間《ま》から透して見れば、ボスポルスの水が青く光つてゐる。黒い嘴細鴉《はしぼそがらす》がばたばたと飛んで澄み切つた空高く升《のぼ》る。多分僕はまづい事は言はなかつただらう。なぜと云ふに、ジユリエツトはこんな意味の返事をしたからである。「あなたのそのお詞《ことば》を侮辱だとは感じません。こんな悲しい身の上になつてゐるのですから、
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