に積み上げてある。僕が近寄ると、その男は身を屈めた。僕はその様子を見てゐた。突然男は身を起して、長い、曲つた刀を、高く差し上げて、華やかな、勇ましい身構をして、鞘を払つた。明るく、強く、切るやうに、鋼鉄は鞣皮《なめしかは》の鞘から滑り出してその陰険な、人に媚びるやうな光沢を現した。男は次第に刃《やいば》を抜き出しながら、茶色の髯の奥で光る白い歯を見せて、ゆるやかに微笑んで、僕の顔を見た。日のかつと照つてゐる中に、その男のさうして立つてゐる姿は、さながら運命の立像であつた。
若しジユリエツトが来て、ブラウン夫婦がダウウトの翁《おきな》の氈店《かもみせ》に往つたのを知らせなかつたら、僕はいつまでもその男を見詰めてゐただらう。氈店で僕は夫婦に逢つた。数分の後に僕が横になる筈の深紅色の氈は、そこで買つたのだ。あの氈の上に寝てしなやかなジユリエツトの裸体を抱いた時、僕は度々此死の事を思つた。あの上で此世を去らうと云ふ、不可説にして必然な心が養成せられた。此決心に先立ち、此決心に伴つた事情を、これで君に言つて聞かせた。それで僕はジユリエツトの姿、薔薇の谷の小さいトルコの珈琲店、糸杉の木、スクタリ
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