あった。なんでもそこへなまめいた娘が薄茶か何か持って出ることになっていた。その若衆のしらじらしい、どうしても本の読めそうにない態度が、書見と云う和製の漢語にひどく好く適合していたが、この滑稽を舞台の外で、今繰り返して見せられたように、僕は思ったのである。
そのうち僕はこう云う事に気が附いた。しらじらしいのは依田さんに対する壮士俳優の話ばかりではない。この二階に集まった大勢の人は、一体に詞少なで、それがたまたま何か言うと、皆しらじらしい。同一の人が同一の場所へ請待《しょうだい》した客でありながら、乗合馬車や渡船の中で落ち合った人と同じで、一人一人の間になんの共通点もない。ここかしこで互に何か言うのは、時候の挨拶位に過ぎない。ぜんまいの戻った時計を振ると、セコンドがちょっと動き出して、すぐに又止まるように、こんな会話は長くは持たない。忽《たちま》ち元の沈黙に返ってしまうのである。
僕は依田さんに何か言おうかと思ったが、どうもやはりしらじらしい事しきゃ思い附かないので、言い出さずにしまった。そしてそこ等の人の顔を眺《なが》めていた。どの客もてんでに勝手な事を考えているらしい。百物語と云う
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