のは、彼が忽ち富豪の主人になって、人を凌《しの》ぎ世に傲《おご》った前生活の惰力ではあるまいか。その惰力に任せて、彼は依然こんな事をして、丁度創作家が同時に批評家の眼で自分の作品を見る様に、過ぎ去った栄華のなごりを、現在の傍観者の態度で見ているのではあるまいか。
僕の考は又一転して太郎の上に及んだ。あれは一体どんな女だろう。破産の噂《うわさ》が、殆ど別な世界に栖息《せいそく》していると云って好い僕なんぞの耳に這入る位であるから、怜悧《れいり》らしいあの女がそれに気が附かずにいる筈《はず》はない。なぜ死期《しご》の近い病人の体を蝨《しらみ》が離れるように、あの女は離れないだろう。それに今の飾磨屋の性質はどうだ。傍観者ではないか。傍観者は女の好んで択《えら》ぶ相手ではない。なぜと云うに、生活だの生活の喜《よろこび》だのと云うものは、傍観者の傍では求められないからである。そんなら一体どうしたと云うのだろう。僕の頭には、又病人と看護婦と云う印象が浮んで来た。女の生涯に取って、報酬を予期しない看護婦になると云うこと、しかもその看護を自己の生活の唯一の内容としていると云うこと程、大いなる犠牲は又
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