な心持がして来た。傍観者が傍観者を認めたような心持がしてきた。
 僕は飾磨屋の前生涯を知らない。あの男が少壮にして鉅万《きょまん》の富を譲り受けた時、どう云う志望を懐《いだ》いていたか、どう云う活動を試みたか、それは僕に語る人がなかった。しかし彼が芸人|附合《つきあい》を盛んにし出して、今紀文と云われるようになってから、もう余程の年月《としつき》が立っている。察するに飾磨屋は僕のような、生れながらの傍観者ではなかっただろう。それが今は慥かに傍観者になっている。しかしどうしてなったのだろうか。よもや西洋で僕の師友にしていた学者のような、オルガニックな欠陥が出来たのではあるまい。そうして見れば飾磨屋は、どうかした場合に、どうかした無形の創痍《そうい》を受けてそれが癒《い》えずにいる為めに、傍観者になったのではあるまいか。
 若しそうだとすると、その飾磨屋がどうして今宵のような催しをするのだろう。世間にはもう飾磨屋の破産を云々《うんぬん》するものもある。豪遊の名を一時に擅《ほしいまま》にしてから、もうだいぶ久しくなるのだから、内証は或はそうなっているかも知れない。それでいて、こんな催しをする
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