し後も、よなよな纜《ともづな》をわが窓の下に繋ぎて臥《ふ》ししが、ある朝《あした》羊小屋の扉のあかぬにこころづきて、人々岸辺にゆきて見しに、波虚しき船を打ちて、残れるはかれ草の上なる一枝《いっし》の笛のみなりきと聞きつ。」
かたりをはるとき午夜《ごや》の時計ほがらかに鳴りて、はや舞踏の大休《おおやすみ》となり、妃はおほとのごもり玉ふべきをりなれば、イイダ姫あわただしく坐を起《た》ちて、こなたへ差しのばしたる右手《めて》の指に、わが唇触るるとき、隅の観兵の間《ま》に設けたる夕餉《スペー》に急ぐまらうど、群立ちてここを過ぎぬ。姫の姿はその間にまじり、次第に遠ざかりゆきて、をりをり人の肩のすきまに見ゆる、けふの晴衣《はれぎ》の水いろのみぞ名残なりける。
底本:「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年1月16日第1刷発行
1992(平成4)年3月5日第21刷発行
底本の親本:「鴎外全集第二巻」岩波書店
1971(昭和46)年12月刊
初出:「新著百種 第12号」吉岡書籍店
1891(明治24)年1月28日
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