《よせて》丘の下まで進みて、けふの演習をはり、例の審判も果つるほどに、われはメエルハイムと倶《とも》に大隊長の後《しりえ》につきて、こよひの宿へいそぎゆくに、中高《なかだか》に造りし「ショッセエ」道美しく切株残れる麦畑の間をうねりて、をりをり水音の耳に入るは、木立《こだち》の彼方《あなた》を流るるムルデ河に近づきたるなるべし。大隊長は四十の上を三つ四つも踰《こ》えたらむとおもはるる人にて、髪はまだふかき褐《かち》いろを失はねど、その赤き面《おもて》を見れば、はや額《ぬか》の波いちじるし。質樸《しつぼく》なれば言葉すくなきに、二言《ふたこと》三言《みこと》めには、「われ一個人にとりては」とことわる癖《くせ》あり。遽《にわか》にメエルハイムのかたへ向きて、「君がいひなづけの妻の待ちてやあるらむ、」といひぬ。「許し玉へ、少佐《しょうさ》の君。われにはまだ結髪《いいなずけ》の妻といふものなし。」「さなりや。我言《わがこと》をあしう思ひとり玉ふな。イイダの君を、われ一個人にとりてはかくおもひぬ。」かく二人の物語する間に、道はデウベン城の前にいでぬ。園《その》をかこめる低き鉄柵《てっさく》をみぎひ
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