みあし》附きてゆけば、「かしこなる陶物《すえもの》の間《ま》見たまひしや、東洋産の花瓶《はながめ》に知らぬ草木鳥獣など染めつけたるを、われに釈《と》きあかさむ人おん身の外《ほか》になし、いざ、」といひて伴ひゆきぬ。
ここは四方《よも》の壁に造付けたる白石の棚に、代々《よよ》の君が美術に志ありてあつめたまひぬる国々のおほ花瓶、かぞふる指いとなきまで並べたるが、乳《ち》の如く白き、琉璃《るり》の如く碧《あお》き、さては五色まばゆき蜀錦《しよっきん》のいろなるなど、蔭になりたる壁より浮きいでて美《うる》はし。されどこの宮居《みやい》に慣れたるまらうどたちは、こよひこれに心留むべくもあらねば、前座敷にゆきかふ人のをりをり見ゆるのみにて、足をとどむるものほとほとなかりき。
緋《ひ》の淡き地におなじいろの濃きから草織出したる長椅子に、姫は水いろぎぬの裳のけだかきおほ襞《ひだ》の、舞の後ながらつゆ頽《くず》れぬを、身をひねりて横ざまに折りて腰掛け、斜《ななめ》に中の棚の花瓶を扇の尖《さき》もてゆびさしてわれに語りはじめぬ。
「はや去年《こぞ》のむかしとなりぬ。ゆくりなく君を文づかひにして、ゐや申すたつきを得ざりければ、わが身の事いかにおもひとり玉ひけむ。されど我を煩悩《ぼんのう》の闇路《やみじ》よりすくひいで玉ひし君、心の中には片時《かたとき》も忘れ侍《はべ》らず。」
「近比《ちかごろ》日本の風俗書きしふみ一つ二つ買はせて読みしに、おん国にては親の結ぶ縁ありて、まことの愛知らぬ夫婦多しと、こなたの旅人のいやしむやうに記したるありしが、こはまだよくも考へぬ言《こと》にて、かかることはこの欧羅巴《ヨーロッパ》にもなからずやは。いひなづけするまでの交際《つきあい》久しく、かたみに心の底まで知りあふ甲斐《かい》は否《いな》とも諾《う》ともいはるる中にこそあらめ、貴族仲間にては早くより目上の人にきめられたる夫婦、こころ合はでも辞《いな》まむよしなきに、日々にあひ見て忌《い》むこころ飽《あ》くまで募《つの》りたる時、これに添はする習《ならい》さりとてはことわりなの世や。」
「メエルハイムはおん身が友なり。悪しといはば弁護もやしたまはむ。否、我とてもその直《すぐ》なる心を知り、貌《かたち》にくからぬを見る目なきにあらねど、年頃つきあひしすゑ、わが胸にうづみ火ほどのあたたまりも出来《いでこ》
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