みし墓上の石像に似たりとおもはれぬ。
姫はこと葉|忙《せわ》しく、「われ君が心を知りての願《ねがい》あり。かくいはばきのふはじめて相見て、こと葉もまだかはさぬにいかでと怪み玉はむ。されどわれはたやすく惑《まど》ふものにあらず。君演習済みてドレスデンにゆき玉はば、王宮にも招かれ国務大臣の館《やかた》にも迎へられ玉ふべし。」といひかけ、衣の間より封じたる文《ふみ》を取出でてわれに渡し、「これを人知れず大臣の夫人に届け玉へ、人知れず、」と頼みぬ。大臣の夫人はこの君の伯母御《おばご》にあたりて、姉君さへかの家にゆきておはすといふに、始めて逢へること国人《くにびと》の助を借らでものことなるべく、またこの城の人に知らせじとならば、ひそかに郵便に附しても善からむに、かく気をかねて希有《けう》なる振舞したまふを見れば、この姫こころ狂ひたるにはあらずやとおもはれぬ。されどこはただしばしの事なりき。姫の目は能《よ》くものいふのみにあらず、人のいはぬことをも能く聞きたりけむ。分疏《いいわけ》のやうに語を継《つ》ぎて、「ファブリイス伯爵夫人のわが伯母なることは、聞きてやおはさむ。わが姉もかしこにあれど、それにも知られぬを願ひて、君が御助《みたすけ》を借らむとこそおもひ侍《はべ》れ。ここの人への心づかひのみならば、郵便もあめれど、それすら独《ひとり》出づること稀なる身には、協《かな》ひがたきをおもひやり玉へ。」といふに、げに故あることならむとおもひて諾《うべな》ひぬ。
入日は城門近き木立より虹の如く洩りたるに、河霧たち添ひて、おぼろけになる頃塔を下れば、姫たちメエルハイムが話ききはててわれらを待受け、うち連れて新《あらた》にともし火をかがやかしたる食堂に入りぬ。こよひはイイダ姫きのふに変りて、楽しげにもてなせば、メエルハイムが面《おもて》にも喜のいろ見えにき。
あくる朝ムッチェンのかたをこころざしてここを立ちぬ。
秋の演習はこれより五日ばかりにて終り、わが隊はドレスデンにかへりしかば、われはゼエ・ストラアセなる館をたづねて、さきにフォン・ビュロオ伯が娘イイダ姫に誓ひしことを果さむとせしが、固《もと》よりところの習にては、冬になりて交際の時節|来《こ》ぬ内、かかる貴人《あてびと》に逢はむことたやすからず、隊附の士官などの常の訪問といふは、玄関の傍《かたえ》なる一間に延《ひ》かれて、名簿
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