かた備《そなわ》れりとぞいふなる。国王|陛下《へいか》にはいま始めて謁見《えっけん》す。すがた貌《かたち》やさしき白髪の翁《おきな》にて、ダンテの『神曲』訳したまひきといふヨハン王のおん裔《すえ》なればにや、応接いと巧《たくみ》にて、「わがザックセンに日本の公使置かれむをりは、いまの好《よしみ》にて、おん身の来《こ》むを待たむ、」など懇《ねもごろ》に聞《きこ》えさせ玉ふ。わが邦にては旧《ふる》きよしみある人をとて、御使《おんつかい》撰《えら》ばるるやうなる例《ためし》なく、かかる任に当るには、別に履歴なうては協《かな》はぬことを、知ろしめさぬなるべし。ここにつどへる将校百三十余人の中にて、騎兵の服着たる老将官の貌《かたち》きはめて魁偉《かいい》なるは、国務大臣ファブリイス伯なりき。
夕暮に城にかへれば、少女《おとめ》らの笑ひさざめく声、石門の外《と》まで聞ゆ。車停むるところへ、はや馴れたる末の姫走り来て、「姉君たち『クロケット』の遊《あそび》したまへば、おん身も夥《なかま》になりたまはずや、」とわれに勧《すす》めぬ。大隊長、「姫君の機嫌損じたまふな。われ一個人にとりては、衣《ころも》脱ぎかへて憩《いこ》ふべし。」といふをあとに聞きなして随行《したがいゆ》くに、尖塔《ピラミッド》の下の園にて姫たちいま遊の最中《もなか》なり。芝生のところどころに黒がねの弓伏せて植ゑおき、靴《くつ》の尖《さき》もて押へたる五色《ごしき》の球《たま》を、小槌《こづち》揮《ふる》ひて横様《よこざま》に打ち、かの弓の下をくぐらするに、巧《たくみ》なるは百に一つを失はねど、拙《つたな》きはあやまちて足など撃ちぬとてあわてふためく。われも正剣《せいけん》解《と》いてこれに雑り、打てども打てども、球あらぬ方《かた》へのみ飛ぶぞ本意《ほい》なき。姫たち声を併せて笑ふところへ、イイダ姫メエルハイムが肘《ひじ》に指尖《ゆびさき》掛けてかへりしが、うち解けたりとおもふさまも見えず。
メエルハイムはわれに向ひて、「いかに、けふの宴おもしろかりしや、」と問ひかけて答を待たず、「われをも組に入れ玉へ、」と群のかたへ歩みよりぬ。姫たちは顔見あはせて打笑ひ、「あそびには早《はや》倦《う》みたり、姉ぎみと共にいづくへか往《ゆ》きたまひし、」と問へば、「見晴らしよき岩角わたりまでゆきしが、この尖塔《ピラミッド》には若
前へ
次へ
全18ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング