わせて、ひとりびとりことばをかけ、手袋はずしたる右の手の甲に接吻《せっぷん》せしめたもう。妃は髪黒く丈《たけ》低く、褐いろの御衣《おんぞ》あまり見映えせぬかわりには、声音《こわね》いとやさしく、「おん身はフランスの役《えき》に功ありしそれがしが族《うから》なりや」などねもごろにものしたまえば、いずれも嬉しとおもうなるべし。したがい来し式の女官《にょかん》は奥の入口の閾《しきい》の上まで出で、右手《めて》にたたみたる扇を持ちたるままに直立したる、その姿いといと気高く、鴨居《かもい》柱を欄《わく》にしたる一面の画図に似たりけり。われは心ともなくその面を見しに、この女官はイイダ姫なりき。ここにはそもそもいかにして。
王都の中央にてエルベ河を横ぎる鉄橋の上より望めば、シュロス、ガッセにまたがりたる王宮の窓、こよいはことさらにひかりかがやきたり。われも数にはもれで、きょうの舞踏会にまねかれたれば、アウグスツスの広こうじにあまりて列をなしたる馬車の間をくぐり、いま玄関に横づけにせし一輛より出でたる貴婦人、毛革の肩かけを随身《ずいじん》にわたして車箱《しゃそう》のうちへかくさせ、美しくゆい上げたる
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