が嬉しさに怠らず学びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨《はげ》ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなく妥《おだやか》ならず、奥深く潜みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜《よろ》しからず、また善く法典を諳《そらん》じて獄を断ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
余は私《ひそか》に思ふやう、我母は余を活《い》きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。今までは瑣々《さゝ》たる問題にも、極めて丁寧《ていねい》にいらへしつる余が、この頃より官長に寄する書には連《しき》りに法制の細目に拘《かゝづら》ふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しつ。又大学にては法科の講筵を余所《よそ》にして、歴史文学に心を寄せ、
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