《おぼつか》なきは我身の行末なるに、若し真《まこと》なりせばいかにせまし。
 今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず。エリスは床に臥《ふ》すほどにはあらねど、小《ちさ》き鉄炉の畔《ほとり》に椅子さし寄せて言葉|寡《すくな》し。この時戸口に人の声して、程なく庖厨《はうちゆう》にありしエリスが母は、郵便の書状を持て来て余にわたしつ。見れば見覚えある相沢が手なるに、郵便切手は普魯西《プロシヤ》のものにて、消印には伯林《ベルリン》とあり。訝《いぶか》りつゝも披《ひら》きて読めば、とみの事にて預《あらかじ》め知らするに由なかりしが、昨夜《よべ》こゝに着せられし天方大臣に附きてわれも来たり。伯の汝《なんぢ》を見まほしとのたまふに疾《と》く来よ。汝が名誉を恢復するも此時にあるべきぞ。心のみ急がれて用事をのみいひ遣《や》るとなり。読み畢《をは》りて茫然たる面もちを見て、エリス云ふ。「故郷よりの文なりや。悪しき便《たより》にてはよも。」彼は例の新聞社の報酬に関する書状と思ひしならん。「否、心にな掛けそ。おん身も名を知る相沢が、大臣と倶にこゝに来てわれを呼ぶなり。急ぐといへば今よりこそ。」
 かはゆき
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