て大学に繁く通ひし折、養ひ得たる一隻の眼孔もて、読みては又読み、写しては又写す程に、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自《おのづか》ら綜括的になりて、同郷の留学生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼等の仲間には独逸新聞の社説をだに善くはえ読まぬがあるに。
明治廿一年の冬は来にけり。表街《おもてまち》の人道にてこそ沙《すな》をも蒔《ま》け、※[#「金+※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]のつくり」、161−下−29]《すき》をも揮へ、クロステル街のあたりは凸凹《とつあふ》坎※[#「土へん+可」、第3水準1−15−40]《かんか》の処は見ゆめれど、表のみは一面に氷りて、朝に戸を開けば飢ゑ凍《こゞ》えし雀の落ちて死にたるも哀れなり。室《へや》を温め、竈に火を焚きつけても、壁の石を徹し、衣の綿を穿《うが》つ北欧羅巴の寒さは、なか/\に堪へがたかり。エリスは二三日前の夜、舞台にて卒倒しつとて、人に扶《たす》けられて帰り来しが、それより心地あしとて休み、もの食ふごとに吐くを、悪阻《つはり》といふものならんと始めて心づきしは母なりき。嗚呼、さらぬだに覚束
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