声を呑みつゝ泣くひとりの少女《をとめ》あるを見たり。年は十六七なるべし。被《かむ》りし巾《きれ》を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面《おもて》、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁《うれひ》を含める目《まみ》の、半ば露を宿せる長き睫毛《まつげ》に掩《おほ》はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
 彼は料《はか》らぬ深き歎きに遭《あ》ひて、前後を顧みる遑《いとま》なく、こゝに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫《れんびん》の情に打ち勝たれて、余は覚えず側《そば》に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累《けいるゐ》なき外人《よそびと》は、却《かへ》りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆《あき》れたり。
 彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が真率なる心や色に形《あら》はれたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷《むご》くはあらじ。又《ま》た我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬《ほ》を流れ落つ。
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