なんだか気が落ち着かないようなところね。どうせいつだって気の落ち着くような身の上ではないのだけど」
「いったいいつどうして来たのだ」
「おとつい来て、きのうあなたにお目にかかったのだわ」
「どうして来たのだ」
「去年の暮からウラヂオストックにいたの」
「それじゃあ、あのホテルの中にある舞台でやっていたのか」
「そうなの」
「まさか一人じゃああるまい。組合か」
「組合じゃないが、一人でもないの。あなたもご承知の人が一しょなの」少しためらって。「コジンスキイが一しょなの」
「あのポラックかい。それじゃあお前はコジンスカアなのだな」
「いやだわ。わたしが歌って、コジンスキイが伴奏をするだけだわ」
「それだけではあるまい」
「そりゃあ、二人きりで旅をするのですもの。まるっきりなしというわけにはいきませんわ」
「知れたことさ。そこで東京へも連れて来ているのかい」
「ええ。一しょに愛宕山《あたごやま》に泊まっているの」
「よく放して出すなあ」
「伴奏させるのは歌だけなの」Begleiten《ベグライテン》 ということばを使ったのである。伴奏ともなれば同行ともなる。「銀座であなたにお目にかかったとい
前へ
次へ
全11ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング