いる。右のはずれの方には幅広く視野をさえぎって、海軍参考館の赤煉瓦《あかれんが》がいかめしく立ちはだかっている。
 渡辺はソファに腰をかけて、サロンの中を見廻した。壁のところどころには、偶然ここで落ち合ったというような掛け物が幾つもかけてある。梅に鶯《うぐいす》やら、浦島が子やら、鷹《たか》やら、どれもどれも小さい丈《たけ》の短い幅《ふく》なので、天井の高い壁にかけられたのが、尻《しり》を端折《はしょ》ったように見える。食卓のこしらえてある室の入口を挾んで、聯《れん》のような物のかけてあるのを見れば、某大教正の書いた神代文字《じんだいもじ》というものである。日本は芸術の国ではない。
 渡辺はしばらくなにを思うともなく、なにを見聞くともなく、ただ煙草《たばこ》をのんで、体の快感を覚えていた。
 廊下に足音と話し声とがする。戸が開く。渡辺の待っていた人が来たのである。麦藁《むぎわら》の大きいアンヌマリイ帽に、珠数《じゅず》飾りをしたのをかぶっている。鼠色《ねずみいろ》の長い着物式の上衣の胸から、刺繍《ししゅう》をした白いバチストが見えている。ジュポンも同じ鼠色である。手にはウォランのついた
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