廻って、井桁の外へ流れ落ちた。
「あら。直ぐにおっこってしまうのね。わたしどうなるかと思って、楽みにして遣《や》って見たのだわ」
「そりゃあおっこちるわ」
「おっこちるということが前から分っていて」
「分っていてよ」
「嘘《うそ》ばっかし」
 打つ真似をする。藍染の湯帷子の袖が翻る。
「早く飲みましょう」
「そうそう。飲みに来たのだったわ」
「忘れていたの」
「ええ」
「まあ、いやだ」
 手ん手に懐《ふところ》を捜《さぐ》って杯を取り出した。
 青白い光が七本の手から流れる。
 皆銀の杯である。大きな銀の杯である。
 日が丁度一ぱいに差して来て、七つの杯はいよいよ耀《かがや》く。七条の銀の蛇《へび》が泉を繞って奔《はし》る。
 銀の杯はお揃で、どれにも二字の銘がある。
 それは自然の二字である。
 妙な字体で書いてある。何か拠《よりどころ》があって書いたものか。それとも独創の文字か。
 かわるがわる泉を汲《く》んで飲む。
 濃い紅の唇《くちびる》を尖《とが》らせ、桃色の頬《ほお》を膨らませて飲むのである。
 木立のところどころで、じいじいという声がする。蝉《せみ》が声を試みるのである。
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