時、間違つた事を言つてなりません。こなひだも皇族にお目通りをして、閣下と云つてしまつたですなあ。皇族ですよ。あはゝ、なんだか、折々かう精神錯乱と云ふやうな風になるのですよ。それに目も段々悪くなります。新聞なんぞは、かう云ふ風に、遠い処へ持つて行かないと、読めないですなあ。さうすると手が草臥《くたび》れるです。一つ見台のやうなものを拵へさせて、その上に置いて読んで見ようかとも思ふのです。あの、それ、音楽家が譜を載せるやうなものですなあ。」
「楽譜架ですか。」
「それです、それです。」
 こんな風な交際が二箇月ばかりも続いた。さて第一の衝突は外交問題で生じた。それはこんな工合であつた。
「もし/\、プラトン・アレクセエヰツチユさんですか。お呼びになりましたか。」
「さうです、さうです。」電話口でかう云ひながら、心配げな顔をしてゐる。
「何か御命令がございますか。」
「なに。わたくしはあなたに命令をいたすことは出来ないですが、少し願ひたい事があるのです。どうもわたくしは好く忘れてなりませんが、あなたの方で外交の事を書いてゐるのは。」
「クリユキンです。」
「ロシアの臣民ですな。」
「何事です
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