は、俯向《うつむ》いたままで長い螺釘《ねじくぎ》を調べるように見ていたが、中音《ちゅうおん》で云った。
「冬は中々《なかなか》好うございます。」
己はその顔を見詰めて、首を振った。そして分疏《いいわけ》のように、こう云った。「余計な事を聞くようだが、わたしは小説を書くものだからね。」
この時相手は初めて顔を上げた。「小説家でおいでなさるのですか。デネマルクの詩人は多くこの土地へ見えますよ。」
「小説なんと云うものを読むかね。」
エルリングは頭を振った。「冬になると、随分本を読みます。だが小説は読みません。若い時は読みました。そうですね。マリイ・グルッベなんぞは、今も折々出して見ますよ。ヤアコップセンは好きですからね。どうもこの頃の人の書くものは。」手で拒絶するような振をした。
己は自分の事を末流《ばつりゅう》だと諦《あきら》めてはいるが、それでも少し侮辱せられたような気がした。そこで会釈をして、その場を退《の》いた。
夕食の時、己がおばさんに、あのエルリングのような男を、冬の七ヶ月間、こんな寂しい家《うち》に置くのは、残酷ではないかと云って見た。
おばさんは意味ありげな微笑をした。そして云うには、ことしの五月一|日《じつ》に、エルリングは町に手紙をよこして、もう別荘の面白い季節が過ぎてしまって、そろそろお前さんや、避暑客の群《むれ》が来られるだろうと思うと、ぞっとすると云ったと云うのである。
「して見ると、あなたの御贔屓《ごひいき》のエルリングは、余りお世辞はないと見えますね。」
「それはそうでございます。お世辞なんぞはございません。」こう云っておばさんは笑った。
己にはこの男が段々面白くなって来た。
その晩十時過ぎに、もう内中のものが寐《ね》てしまってから、己は物案じをしながら、薄暗い庭を歩いて、凪《な》いだ海の鈍い波の音を、ぼんやりして聞いていた。その時己の目に明りが見えた。それはエルリングの家から射《さ》していたのである。
己は直ぐにその明りを辿《たど》って、家の戸口に行って、少し動悸《どうき》をさせながら、戸を叩いた。
内からは「どうぞ」と、落ち着いた声で答えた。
己は戸を開けたが、意外の感に打たれて、閾の上に足を留《と》めた。
ランプの点《つ》けてある古卓《ふるづくえ》に、エルリングはいつもの為事衣《しごとぎ》を着て、凭《よ》り掛か
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